花月草子

清涼山の御亭

2013年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年05月

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観世九皐会 春別会

先日が喜多の『伯母捨』。
今日は九皐会の別会で『卒塔婆小町』と老女物の大曲続き。
連休初日にはふさわしい初夏の陽気で国立も賑わいました。

『卒塔婆小町 一度之次第
小書により、次第から先にシテの出。
揚幕から小町が卒塔婆に腰をかけるまでの間、ほんのわずかの間に過去の柳営に
おける身の春を「独りごちる」ように演出して見せ、腰を落ち着けてからワキ僧
の登場となる小書。
個人的にはこの演出の方が実感というか、小町の孤独さ、哀れさが引き立つ気が。
いや、通常のワキ次第→シテ登場ですとやはり時間経過の描き方が不自然なわけ
ですし、やはりこちらの方がしっくり来ます。

小町と僧の仏法問答の掛け合いはやはり息詰まる。
駒瀬先生の小町は割と押し強いタイプに見えました。
かといって、「論破してやる」というミエミエ感はなく、端然と答える中にも
意思の強さを感じる。というところでしょうか。
また閑先生がそれを綺麗に受けてくれるので(笑)。
僧がタジタジとなり、素直に自らの「見誤り」を悟り老小町に頭を垂れるまで
の一挙手一投足がじりっじりっと伝わってくる勢い。

そしてそれまで平静を保っていた老小町が突如憑かれていく様。
…実はこのあたり、私の身上に不足の事故が起こっておりまして。
勿論舞台はガン見していたんですけど。
はい。深草少将が取り憑いた様も素晴らしかったです。
しかし、私は見所でまさにこの刻々とした時間の中、百本の芍薬を
一本ずつ手折り取るが如くの状態にて<なんのこっちゃ

…舞台は良かったのに自分は悲惨でした。はい。

休憩中になんとか体調も持ち直して、お仕舞、狂言、お仕舞。
お仕舞良かったですねー。
喜之先生を筆頭に六名の重鎮が今回は皆様動きのある曲ばかりを選んで、
なんとも若々しく。

さて、この春の公演発表があってから、多分見所にお集まりの方々、ワクワク
のドキドキで指を折って待っていたであろうと思われます
『烏帽子折』
三条吉次兄弟に揚幕から牛若が縹色に菊水柄の菊綴直垂に白い大口という装束で、
「のうのう」
と呼びかける所から見所の目あたたか。
いやあ、初舞台がついこの間のようにも思えるのにもう烏帽子を戴くことに
なったのですねー。としみじみした感慨。
いや、前シテの烏帽子屋の主も出から終始…意識しようとしなくても顔に現れ
ていますよ奥川先生。にこにこ顔。

アイの摺針兄弟の松明を一度斬り落とし、二本目を踏み消し、三本目を投げ返し
背から切り伏せ。
太刀を振りあぐる姿はまだ幼くとも何やら大物四番打者の風格漂うフォームと
スイング軌道<あれ?何か違う?
熊坂一味の押込み前のショートコメディをはさんで後は立衆次々に罷り出でての
大チャンバラ♪
同士討ちアリ、見間違いアリの斬り組みは「“超”だんまり状態」ならではで、
先生方は
「滑稽ですよ」
とおっしゃるけれど、やはり斬り組みの素直な面白さは問答無用、御意見無用。
また立衆頭で最後に出てくる中所先生の長刀裁きがまた!
そして五尺三寸の太刀を構えて打ちかかる熊坂。
斬って斬って斬り倒す義経(後場はもう烏帽子を戴いた後なので「義経」)
九皐会の先生方ホレ直しますわ。

終演時の拍手はあまり好むところではありませんが、今日ばかりは皆さん
堰を切ったような拍手が起こったのもやむなし哉(笑)。

恒成くん、無事の元服おめでとうございます。

※ そうか…芝居の所謂「聞いたか坊主」ってこの摺針兄弟のバリエーションか…

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| 能・狂言 | 23:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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名残惜しの都や

蝉丸の道行に苦闘中。
師匠は
「これは“舞ではない舞”だからね」
とおっしゃる。
「狂女が時折正気を見せながらふらふらと歩いていく姿」
そうか、その理屈でいくと日舞の「お夏狂乱」も
舞ではないのだなと納得しつつ、
「ただ、“狂女”と言っても“皇女”ですからね。替エ装束では
緋の長袴になるような役だから」

嗚呼、さらにプレッシャー…

| 仕舞・お稽古 | 23:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ひとり捨てられて

折りしも天気の予報は大変悪しいにもかかわらず、香川先生の会はやはり盛会。
本年は老女物の最奥とも位置される『伯母捨』。
楽しみに待たれていた方も多いのでは。

お囃子の先生方ももちろん長裃。
また、分量の多いワキ謡は閑先生が。アイの語り物は東次郎先生がつとめられ
香川先生の老女に花を添えるかの如く。

ワキのしのぶ何某は都の名所にも飽き果てて、古くより信州の月の名所と伝えられる
伯母捨(姨捨)山にやってくる。
やがて、夜もふけ始め、里女が現れ、
「わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」
と古今の歌を詠み、素性を問われて
「山に捨てられた身」
と言い残して去って行く。
とはいえ、前でも後でも「棄老」の内容に直接触れられることはなく、その部分が語
られるのはアイ語りのみ。
自らを育ててくれた伯母を嫁に唆されるままに山に捨てる。という残酷な主題を踏まえ
つつもあえてシテとワキの間にその会話はないという不思議さ。

閑先生の待謡にじっくりと耳を傾けるうち、月もすっかり中天にかかった頃合。
閑先生によって情景の描写がどんどん舞台に出来上がり、すでにここは棚田を見下ろす
山の中で、折り重なる棚田の水面一枚一枚ごとに月が映りこむ「田毎の月」の世界。
橋掛リに現れる後シテは白髪に純白の装束を纏ったこの世のものとは思われぬ老女でした。
青く清い、静かな月光に浮かび出るような。
そしてその月光は舞台の上だけではなく、徐々に大きくなって見所の隅々までもくまなく
あふれる様に照らし出すかのようで。
清浄化され昇華して行くような老女の姿は朝日が昇るとともに姿薄れ、ワキの目には見えなく
なり、ワキ一行は山を降りて行きます。
が、ワキの目には見えなくなっても舞台の我々には老女の姿は見え続けているのです。

舞台に独り残された老女。
最後の最後に香川先生の持てる力ここに発揮されるというのが過言ではなくて、
ここから一気に面の表情が豊かになるというのか…
「昔こそあらめ今もまた、伯母捨山とぞなりにける」
と、再び独り山に残される老女。
先ほど美しく光を浴びて舞う姿から一転、胸に秘めた悲痛な孤独をじっとこらえる強い
眦から珠がこぼれんばかりに涙が落ちて。
…て、いうのが雰囲気ではなくて、実感として感じ取れるのですよね。

面に実際の表情を与えて見せる力というものは本当に素晴らしい。
香川先生の舞台はいつ拝見しても圧倒される。
次回は『江口』です。勢至(月)の次は普賢。

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| 能・狂言 | 20:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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