花月草子

清涼山の御亭

2011年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年12月

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放送延期

友枝先生の事務局から緊急の通知ハガキが。
何事かと思いきや、今週末の土曜日に放送が予定されていた10月公演の
厳島観月能『融』がNHKの都合でお正月の二日深夜(23時~25時)と
なりましたとやら。

たまたま今度の土曜日は出勤になってしまったので、うーん。
と思っていましたが、却って二日深夜の方が周囲の雑音なく視聴できそうで
結果オーライ。

しかし、緊急でこんな告知を届けてくるあたり、事務局も大変ですねぇ…
他の芸能事なら、サイトの一方的通知などでしれっと済ませそうだ。
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| 能・狂言 | 23:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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世阿弥を継ぐ -十五世観世大夫元章の革新-

演劇博物館にて十五世観世大夫元章(1722-1774)の企画展示。

新曲、復曲、詞章改訂、作リ物改定、分家樹立(現・銕之丞家)、家元制度確立
とあらゆる改革をしてのけた、ある意味「傑物」な宗家でありますが、
一気に事をすすめ過ぎたのが災して周囲の反発をまねき、没した後は元の木阿弥。
という典型的なパターン。

彼が従来伝わっていた詞章の改訂に取り組んだのは幕閣の後押しあっての事で、
ことに田安宗武を後援につけてよりは、賀茂真淵などの国学者を巻き込み、彼の
天才肌ともあいまって破竹の如き勢いの様子。
また上方の家筋や弟子家をまとめあげ、免状の発行などの現在のピラミッド式体制
を確立した事跡に関して、宗家割印の押された「免状控」も展示されているなど
そのあたり、やり手だなあと。

やり手といえば、自らが家督相続をした際の「寛延勧進能」はそれまでの勧進能が
四日間、という慣例を打ち破っての異例ともいえる十五日開催。
しかもその十五日間で四十三曲を舞うというなにそれどういう神がかりパワーの
持ち主でもあったとやら。

今回の展示は六世中村歌右衛門特別記念室での小規模展示なのが勿体無い。
目録があった分だけまだマシなのかもしれませんが…

ところで、昨年の十月に岩波文庫での『能作書・覚習条条・至花道書』を
購入したのですけど、この本の、特に「覚習条条」には底本(吉田本)による
欠損部分がいくつかあり、全文か、あるいは欠損分だけでも読める本はないかな
と常々思っていたのですが、いやー、早稲田にありましたよ。
『花鏡 謡秘伝抄 演劇資料選書1(写真下)
しかも、今展示の期間中だけ、定価6300円→1000円という某BックOフもビックリ
の目を疑うような超破格値。
底本が違うので、仮名などは多少の差異があるものの、朱入り影印もあって有難い
限りです。気合をいれて読みこまねば<苦笑

能作書 『能作書・覚習条条・至花道書』 
 岩波文庫 青
 世阿弥著
 野上豊一郎校訂

 『花鏡 謡秘伝抄 演劇資料選書1
 飛鳥書房
 早稲田大学演劇博物館編
 
花鏡01 花鏡02

| 能・狂言 | 17:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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また叢雲に飛び乗り・・・

先月十月は、はからずも仕事が空かずに伺えなかったので、
九月のお稽古を終えてからまるまる二ヶ月ぶりのお稽古。
ということに。

うわーん、流石に二ヶ月も空くと覚えていないよう~
前回は「これまでなりと言い捨てて」で下居、両手ツキ、まで
行っていたのが最早相当なうろ覚え状態。

なのに、今日、最後の「稲荷の峯にぞ帰りける」まで強引に引っ張られて
しまいましたよ。
ニコヤカに笑いながら師匠あなどりがたし。
あ、でも今日は帯を持っていったので、流石にパンツのベルトに扇をたばさむ
よりはスムーズに格好がつきました。<苦笑

| 仕舞・お稽古 | 23:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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恋すてふ 我が名はまだき立ちにけり

この月にしては気温が高めで雨気をはらんで蒸す上に、見所ではクーラーが
利きすぎるという、観る側としては少々過ごし難い日になってしまいました。
九皐会十一月の定例会です。

『班女』
舞台は野上の宿。今の関ヶ原あたり。
形見の扇を残して東国に下っていった吉田少将を想い続ける花子。
中入り前の装束は秋の菊尽くしの唐織。となんとも可憐な。
形見の扇を日々眺め暮らしつ少将を恋い慕い、遊君としての勤めを果たさなく
なったら・・・まあ長者に宿を追われても仕方のない所で。
しかし、今日の吉田少将は花子が夢中になってもおかしくはないであろうと
いう上方のイケメン少将なので、全て許す。<それでいいのか!いいのだ

可憐なのは装束だけでなく、面の表情も。
医者にも治せぬほどに恋するオンナノコ炸裂。
シテは曲中ほぼ語り通し、舞通しなので非常に神経使うと思いますが、役への集中力
が流石だなと感じさせる仕上がりになりました。
後場の糺の森で、半ば正気でなくなった姿で少将一行と邂逅した際にも少将の使いに
「扇を見せよ」
と言われても
「これは人の形見なれば 身をはなさず持ちたる扇なれども
“形見こそ今は徒なれこれなくは 忘るゝ隙もあらましものを”
と思へども さすがまた 添ふ心地する折々は 扇取る間も惜しきものを 人に見する事
あらじ」
(これは大事な人から頂いた形見の扇なのだから、手放す間も惜しいのに、他人に
など見せられるものではないわ)
と懐に隠してイヤイヤしてしまう所がまた<ハアト
二人がめぐり合う場所が糺の森というのも世阿弥作と言われるセンスか。
糺の森には縁を結ぶ象徴ともいえる連理の賢木がありますし、偽りを糺す神が
おわしまし、人々の訴えを裁くとも申します。
花子がこの場所にやって来たのも糺の神の導きか。

最終的には互いの交換した扇を見せ合ってハッピーエンド。
・・・と言いたいところだけど、ここからがあの壮大な悲劇の幕開けなんだなぁ。
と思うとちょっと気が重い。

この遊君とも思えぬ恋に一途な可愛らしい女性が梅若の母となり隅田川で再び狂う
ことになるのですよ。嗚呼。

ちなみに『班女』とは「班家の女(娘)」と同義。
前漢成帝の後宮に暮らした班婕の「秋の扇」故事を引いて扇に身を省みて
嘆く花子を野上の同輩たちが揶揄して「班女」とあだ名をつけた事に始まります。

お仕舞は、長山先生の『鳥追舟』、喜之先生の『遊行柳』も素晴らしいながら
御年八十四になられる遠藤六郎先生の『野守』が眼福。
あのパワーとバイタリティはどこから溢れ出てこられるのでしょうか。
凄い凄すぎる。

二曲目の『女郎花』は前の班女が一応ハッピーエンドな結末を迎えるのに対して
悲恋の極み。
古今和歌集仮名序より
「男山の昔を思ひいでて 女郎花の一時をくねるにも 歌をいひてぞなぐさめける」
を引いて作られた曲であるという説あり。

男(頼風)が心変わりをしたとの話を信じこみ、そのまま放生川に身をはかなんで
しまった女はちょっと短絡的すぎるきらいがありますが・・・
結論としては頼風が心変わりをしていたわけでなく、二人の関係に嫉妬した妻が
たずねて来た女に「おまえは捨てられた云々」とウソを付いたのが・・・まぁ当然か。

頼風が泣く泣く骸を水から上げて、葬った場所から黄色い女郎花の花が生まれ、
その花に頼風が近づくと恨み顔の女の姿となり、遠のけばまた花の姿となり。
そして頼風自身も身の過ちに女を犠牲にしてしまった事を悔やんで入水してしまう。
秋の怪異奇談そのもの。

なんですが、女郎花の舞囃子部分は惹かれる要素が多いんですよねー。
クセからキリ地までカケリを挟んで一気だから長めではありますが。
耕三先生が若い頼風をステキ(と、この場合言っていいのかどうか)に舞っていらした。

ちなみに我が家でも女郎花の花を育てていますが、ワキ僧のように、素手で手折ろう
とは思いません。
本草学での女郎花は薬名を「敗醤」と言って、茎を折ったり、根を掘ったりすると
その名の通り痛んだ醤油みたいなニホヒがするので、手袋なしではあまりに。<苦笑

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| 能・狂言 | 22:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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