花月草子

清涼山の御亭

2008年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年05月

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明治神宮春の大祭

新緑の眩しい季節になりました。
参道

本日から明治神宮春の大祭での奉納行事が始まります。初日の今日は
恒例の宮内庁楽部楽友会によります舞楽。 幸い早く着く事ができまして、
左方の席を取ることが出来ました。
奉納舞台 左大太鼓と左鉦鼓

曲は
『振鉾』を先頭に、今年は
・左方唐楽盤渉調 四人舞『輪台』、
・右方高麗楽壱越調 二人舞『納曾利』
そして終わりは『長慶子』。

『振鉾』は今回は合鉾ナシ(三節割愛)。<泣
左右の舞人がそれぞれ一人ずつ単独で舞台を払いました。
左方振鉾 右方振鉾

方肌脱ぎの朱(左)と緑(右)の襲装束が舞うのを見ると、やはり舞楽は外で見る
ものだと実感します。
竜笛が約一方、妙にかすれてたのが気になりましたが、次の『輪台』の音取が
始まった あたりではもう回復していたので、まあ良シとして。

『輪台』
元々は平調だったのを仁明天皇勅で盤渉調に変えられたこの曲は、本来
『青海波』の「序」にあたります。
一、二、三、四臈と出てくるのは同じなのですが、途中、青海波当曲がはじまった
あたりで一度四人が並列になり、クロスするように三、四臈が前に出ます。
で、退場の時は二、一、四、三臈の順で入るというまことに不思議な順番。
朱色の襲を着用した舞人が新緑の青空の下、伸びやかに舞っているのを見ていると、
ここが東京だということを忘れそうになります。
輪台01 輪台02

『納曾利』
おなじみ『蘭陵王』の番舞です。ところで、舞人が出手に登場した時から妙な違和感。
裲襠の下の襲が朱だった…右舞なのに…orz
とは言っても舞自体は二人の息が合って、破・急も勢いがあって、良かったのに
やっぱり本来の襲(もうちょっと黄色味の強い)でない事が最後まで引っかかりました。
なんだろう、着替えるヒマが なかったとか<笑
納曾利01 納曾利02

暑い中、楽人の方々も長時間お疲れ様でした。
楽人

今日はお日柄が良かったこともあって赤の台傘を差した挙式の組が舞の最中も多く
境内を行き来していました。最後の『長慶子』の際、ちょうど境内に出られていた組は
良いタイミングでした。(長慶子はお目出度い曲なので)
あと、たまたま神宮に観光に来ていたのか、外国人の方も多く見物されていました。
あの独特の演奏は彼(彼女)らの耳にどう聞こえたのかと考えます。
音取なんてただの不協和音にしか聞こえてなさそうなフンイキでしたが(苦笑)
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| 雅楽・舞楽 | 23:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ぎんなん、ぱあっ

春狂言2008。今年は昼夜通しで鑑賞です。
今回のテーマは「狂言と落語の縁もゆかりもある関係」という事で、演目の中に
いくつか落語に関連のある演目が入っています。
本当は明日も行きたいところですが(『鶏婿』と新作見たいよぅ)、明日は他に予定が
ありますので、今日のみに。

まずは昼の部は1:30開演にて
『鼻取相撲』、『鏡男(落語「松山鏡」の元ネタ)』、『居杭』
夜の部は6:00開演にて
『二人袴』、『伊文字』、『骨皮(落語「金名竹」の元ネタ)』

千五郎さんは大名などでの素襖姿の際は黒い素襖がお好みなのだな、
と改めて思いました。
確かに「一段と良い」と思う程、お似合いかと思います。
『鼻取相撲』でのあの「土器」鼻ガード、素襖もさることながら似合いすぎです(笑)。
でも、相撲に負けた悔しさから土器をパーンと舞台に打ちつけて砕いてしまう
演出は正直驚きました。また、あのすぐ上に丸石さんが投げ飛ばされるわけですし、
ちょっとでも息が狂うと大変なんだろうな~。
皆さんが幕に下がった後、後見の増田さんが手箒と懐紙でお掃除をしていたのが
妙に印象的でした。

童司さんは本当にこう、なんというか不思議な空気感が昔からあったのですが
それがさらにパワーアップしてきたのではないかと。
狂言の方なのに従来の狂言の方には見られない一種独特の雰囲気。
一昔流行った言葉を使うと「フシギちゃん」みたいな。
(もちろん本人は真面目なのだとは思うけれども)
千之丞さん→あきらさん、と続いた「天衣無縫DNA」が濃縮されてる感じ。
『居杭』と『骨皮』でそれを良い方向に出せたと思います。
そういえば、居杭が被っていた頭巾て、『唐相撲』の時に使ったものではないかな。

『二人袴』は今までいろいろな方の二人袴を拝見してきたし、ある意味「見馴れた」
ものではあるけれど、それなのに改めてこんなに笑わせてくれた七五三&逸平
親子に拍手。
逸平さんは去年の横須賀の時にも「良くなった」と書いたけれども、本当に何というか
無駄なものがそぎ落とされてきたような気がします。
勿論、「ちょっと足りない(byあきらさん)」婿殿は底抜け(爆)に笑わせてくれましたが
以前のようなうわついた所が見えなくなってきたかなと思うのです。
骨皮で後見に出てきた際、最後に千作さんが幕に引っ込むのを心配そうに後見座
からのぞきこむ様に見ていたのは賛否両論あるかもしれないけれども、あれは
仕方ないかとも思うのです。黙ってじっと座っていることだけが後見の仕事ではないし、
万が一千作さんが倒れては元も子もないのですから、あれは私的には可。
この調子で育ってほしいですね。

ところで、増田浩紀さんの発声が、どうもどこかでこれと似たような声を聞いた
記憶が…と考えていたのですが、そうそう、先に亡くなられた岩崎狂雲さんに
(私はあの方は晩年の頃しか存知あげていないのですが)ちょっと似ていたかも。
当たり前だけど、まだ増田さんはお若いし狂雲さんほどに枯れた演技ではないの
ですが、何かふとしたはずみでか同じような声に聞こえるのです。不思議だ…

今回の番組は中々バリエーションに富んでいて、またバランスもなかなか良く
とても楽しめました。
千作さんも骨皮ではお一人で立ち上がれる姿も見せて下さり一安心。

茂山家の若手は色々と厳しい事を言われるケースが多いけれど、それは彼らの
将来を心配しての事だと思うので、これからも真摯に取り組んでいって下さるのを
願うばかりです。
あ、勿論ベテラン陣はそれぞれの皆さん持ち前の破壊力に更に磨きをかけて
いって頂きたいし、それをまた見続けて行きたいです。

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| 能・狂言 | 22:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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決定しました

今年のお浚い会は経正でエントリーするという事で確定しました。

あうう…プレッシャーな日々が始まります。

| 仕舞・お稽古 | 22:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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歌右衛門展 つづき(笑)

あ、後でちょっと書き足そうと思っていたら既にツレ人(爆)が色々書いて
下さってるから、いいにしておきましょ<をひ

ところで、岡本町の事跡を偲んでの展示は小さくとも、こうしてまとまったものが
コンスタントに開催されるけれども(演博と岡本町は色々とご縁も深いので)、
どこかで永田町や、あるいは大阪で我童さんの展示があってもいいと思うのですが、
寡聞にしてあまり聞いた事がないです。
(一発ものの企画はあるのかもしれないですが)

そういえば去年の歌右衛門展の頃は三階の衣装展示が永田町の藤色の
弥生に使う振袖だったかと。
(今、飾ってあるのは助六の黒小袖)

東京で我童さんの展示が仮に今後あったとしたら、それはもうwww



| 歌舞伎・文楽 | 23:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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六世 中村歌右衛門展 -父から受け継いだ役々-

演博恒例の展示。
今年はいろいろとヤボ用(笑)も兼ね、むじさまをアテンド。
今回、展示室の真ん中に映像鑑賞用のソファーベンチをおいてしまったせいか、
展示内容はちょっと少なめです。
ご家族の写真も今年は、唯一飾ってあったのが、お父様(五世)の指導のもと、
兄弟二人で踊りの稽古をしている写真でした。
やっぱりね、こう、なんというか。こうして立って並んで写っている写真というのは
あまり出てこないのだけど、改めて見るとやっぱり似てますわ。

我々が部屋に入った時の映像は阿古屋がちょうど琴を弾き始めるあたりでしたので、
まじまじと見てしまいました。胡弓にさしかかる場面からの岩永の人形降りのくだりは
映像内に映る客席はじっと静かなのが印象的。
今だったら笑いが起こってしまうでしょうかね…(シャレになっていない orz)
展示してあった胡弓の房が、真新しいと思える程に鮮やかな朱色でした。
またあの細い弓の棹にまで細かい蒔絵が施してあってですね~
箏の琴柱は黒色でした。黒檀製か紫檀製かそこまでは定かならず。でも、
肝心の「柱」の部分だけ象牙がはめ込んでありました。流石凝ってる。
爪は生田流の爪でした。
三味線は紅木だと思います。
映像に残る阿古屋は一生懸命さをこらえつつ、景清を気にしつつ、また、
放免された瞬間の「解放された!」という喜びをかみしめつつ。
歌舞伎チャンネルかNHKあたりで放送してくれたら確実に録画するんだけどなぁ。
いま、なかなか阿古屋自体かからないしねぇ…

五世、六世の葛の葉が障子に書いた歌をそれぞれ屏風に仕立ててあるの
ですけれども、五世の書は、「本当に咥えて書いたのか?」と思える程に
(一応、書いた直後の写真も掲示してあるのですが)筆圧の大きい、ゴツイ
書でした。
意外なのは六世は葛の葉を一度しか演じていないのだそうな。
六世の書は女方らしく細く流れるような字です。
ちなみに両書とも鏡書きではなく、普通の向きで書かれております。

八ツ橋が「縁切り」の際に羽織っている紫の掛け襟のついた、大太鼓に幔幕の
打掛が衣桁にかけてあるのですが(今回、衣装らしい衣装といえばこれだけ。定高が
雛鳥の首を包んで大判事方に贈る赤い片袖もありますけど)
あ、この柄のは見覚えがありますぞ。近くで見ると、やはり、よりゴーセーです。
色も柄も違う刺繍の入った布を何枚もあわせて幕が出来上がっているんですよね。

飯炊き(ままだき)で使ったお茶碗が仕覆と一緒に置いてあります。
仕覆は大分色褪せしてしまっているけど、まだ金糸の刺繍などはそのまま
ほつれずに残っていますね。お茶碗は白い粉引きで井戸茶碗のような形でした。
歌右衛門丈曰く、飯炊きのない先代萩は『変則』なのだそうな。
最近は空腹の若君のために炊く筈のご飯がつくれない政岡が多いですね。<爆

毎年毎年、小部屋一つの展示とはいえ、展示のネタが汲めども尽きぬ大成駒の
残した仕事はやはり余人に替え難い。
歌右衛門丈の口述伝記や述懐などの本はこれまでにいくつも出版されているけど、
『芸談』という形でまとまったものというのは無いものでしょうか。

現代作家能面展なども併行して開催されていますが、またそれは改めて。
桜は昨日の風雨ですっかり散ってしまっていました。 (´・ω・`)

| 歌舞伎・文楽 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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雲路を凌ぐ旅の空

四月定例会は、『頼政』、『善界』と、ちょっとスペクタクル風味。

『頼政』
三位入道頼政といえば、色々と平家物語の中では、反平氏陣営に属して、
あちらこちらで活躍する元気なじいさんです。
鵺を射殺した方でもあります。そのように、剛強極まりナシな方ですが、
武運つたなく敗れる際には、作法通り辞世を詠んではかなくなった方でもあり。
若武者のような血気に逸る激しさはないけれども、老獪な武辺者らしい
落ち着きと三位の位をもつ品の高さ。
さじ加減の難しい人物だなと思いますが、中所先生はうまく演じわけていたと
思います。
ただ頼政の面はまだ胡粉が枯れていないのか、まだ白さの残るものでしたので、
かくしゃくとした老人、というよりはやはり貴人ぽさがありましたでしょうか。
後シテの引き際に、
「扇の芝の草の陰に~」で、シュッと扇を角に放つ際には計った様にピッタリと
扇が落ちました。

アイの石田さんが、平家巻ノ四「競」をほぼまるまる語るあたり、宗盛のバカ殿
ぶりが偲ばれるというもので、この辺りはちょっと前に読んだばかりの所でしたが、
やはり、声に出して語られると違いますね。物語の世界に臨場感が加わります。

狂言は『酢薑』
万作、万之介ご兄弟の、息のあった舞台でした。なんというか、こう
見ていて、楽しいのだけれども、ただ笑うだけではなく、どこか「ニヤリ」
とする所のある楽しさともいうべきでしょうか。ふふふ<謎笑

最近、お仕舞を見る時の視点といいますか、先生方が型を重ねていく毎に
「こう来て、ああやって、ここをこう動いて…」
という見方になってしまっているような。悪い癖です。手先のテクニックではなくて、
全体の空気感を味わいたいな、とは常に思うのですが…煮詰まってるのかなぁ、自分。

『善界』
いやぁ、ダイナミック。五番目物はやはりこうあってほしいと。
しみじみとしたものも良いけど、たまにはこういうものもなくてはね。(笑)
小書で「白頭」などがついたりすると、年を経た大天狗。といった感じになって、
動きが多少重くなるというか、演じる先生によっては、ゆったりして見えることも
あるけれども、今回は小書ナシの、ノーマルな善界坊でしたので、奥川先生、
舞台を狭しと暴れまくりだったような。
鬘物などでは「しっかりした綺麗な舞台を見せてくれる」先生ですけれども、
こうした五番目物での破壊力は真に凄まじい。
風を巻き起こすように演じることのできる先生だなと。
大癋見は口が切ってないので、声が通りにくいとはいわれますけれども、いえいえ、
しっかり通っていました。
終演後、用足しに行って出て来た後、楽屋前で知人の方とお話されていた
先生をお見かけしましたが、大分お痩せになっていらしたような。
体力勝負の演目ですものね<苦笑

扇に連なる羽根が素晴らしく大きくて立派な鷹斑でした~
イマドキ、あのような扇は二度とつくれまいというのもさもありなん…

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| 能・狂言 | 22:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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海道下

昨日、湯谷を見て、改めてちょっと気になった部分がありまして
(今までもずっと、引っかかりのあった事なのですけど)
平家物語巻ノ十を開いてみます。
謡本や解説本などには、「熊野(以下この表記で)」は「池田の長者の娘」
とされていますが、熊野は宗盛卿の愛妾であると同時にいわゆる「遊君」
という扱いなわけです。

巻ノ十「海道下」の場面では鎌倉に捕虜として護送される、本三位中将重衡卿
(入道の五男)に関わるエピソードとなっています。ここでの熊野に該当する女性
の名前は「侍従」。
護送の一行が池田の宿に投宿した折、接待に出た侍従が重衡の様子をみて
歌を贈ります。
「旅の空はにふの小屋のいぶせきさにふる郷いかにこひしかるらむ」
(旅先での粗末な小屋のむさ苦しさに、いかに都を恋しく思われることでしょう)
これに対する重衡の返歌は
「故郷もこひしくもなしたびのそらみやこもつひのすみ家ならねば」
(解説不要かな?)
いずれにしても、このような里でゆかしい歌を問いかけられた重衡は監視役の
梶原景時に「この歌を詠んだ者はいかなる者か」と問うと、景時は
「あなたはご存知ないかもしれませんが、あの者こそかつて宗盛卿の寵愛を受け
ながら、老母の身を案じ、暇を願い出たものでございます」と、以降はおなじみの
熊野(侍従)の説明がサラリとほんの二行ほど語られます。

よく作者はここからあんなに話をふくらませたなぁ…
あ、本題に戻りますね。熊野はこの時代には池田の宿の女主人となっている
わけですが、ここで書かれた「長者」というのは我々が通常考える「お金持ち」
「分限者」という意味ではなく、
「長者(宿の女主人)」=「宿に集まる遊君たちの長」という意味なの
だそうです。なるほど、そういう事か。納得しました。
平安末期から源平の時代には名のある遊君が色々と活躍(?)した時代でも
ありますね。遊君なくしては世も明けぬ時代でもありました。

重衡の海道下はやがて、鎌倉に到着し「千手前」の物語に発展していきます。

| 書籍 | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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馴れし東の花や散るらむ

第二回 『香川靖嗣の會』 を喜多能楽堂にて鑑賞しました。
途次のアンセルモ教会の枝垂れ桜がまだ咲き残っていて、青空に江戸彼岸の
濃い桜色が映えて、見上げる方も多かったですね。

狂言は東次郎先生の『千鳥』、お能は『湯谷』。小書に「三段之舞」「膝行」が
つきました。
チケットを求めた当初、チラシには「三段之舞」しか記入されていなかったのですが、
頂いたパンフを開いたら「膝行」も入っていました。

『千鳥』は東次郎先生の快活な「らしさ」がとてもストレートに伝わってきました。
山鉾に見立てた樽をたぐり寄せる手さばきや、その都度橋掛かりの所で酒屋
(泰太郎さん)につかまる時にみせる一瞬「ニヤリ」とする表情。
また、「おんま(馬)が参る」で一気に幕へ引っ込むスピードなどなど。
この曲はやはり「千鳥」の「ちりちりや~ちりちり」の謡が有名なのですが、
個人的にはいつも「ああ、あの「ばばのけ、ばばのけ(馬場退け)」の曲」と思って
いるのは私がひねくれているからでしょうかね。

『湯谷 三段之舞 膝行
湯谷が橋掛かりに現れた時、オヤと思ったのは、面の口の部分の開き方が
常の小面に比べると少し大きな面だな。と思ったのです。
なので、朝顔に文を渡された時の湯谷の表情に「え…何ということ…」という
悲壮感といいますか、そうした「憂い」が強調されている様な気がしました。

「文ノ段」は「替エ」になりまして、宗盛と一緒にではなく、湯谷一人で文を
読み上げる型になりましたが、(上掛リの流儀と同じような型です)
その間のやりとりや、清水への牛車での道中の間なども顔をほんの少し動か
しただけで、上を向けば「嗚呼…」と嘆息しているようにも見え、
下を向けば「動揺しながら何か思いつめる」様な、中々強い印象のある面でした。

やがて、湯谷の「心ここにあらず、イヤイヤやってる感ありあり」の筈なんですけど
それを前面に押し出すことなくやはり美しい舞事も終わりまして、
(一噌仙幸先生の笛が綺麗でした…)
「短冊ノ段」では、中啓の要で書き下ろした短冊をささげ…ここで「膝行」ですね。
あの固く着付けてある唐織をまるで普通の着物を着ているかのように、スッスッと
膝で進めていけるのは一体どうやって、足をつかっているのだろうと思うのです。
『西王母』のお仕舞でも「合膝」とかありますが、あれとは違いますよね明らかに。

短冊を詠んだ宗盛から帰国の許しを得て、いそいそと早足に橋掛かりに来る湯谷
ですが、香川先生はいつも、どんなシテを演じても最後の橋掛かりでの動き方が
心に残るといいましょうか。ここで万感の思いをこめるというのか、そういう見せ方が
とてもお上手だなと思います。

ワキの宝生閑先生は、今年に入ってから拝見するのは初めて。
閑先生の、まっすぐ相手を見つめる視線が大好きです。なんでも見通されてしまう
ような気がする。昨年あまり拝見する機会がありませんでしたが、
今日、来月、再来月と続けて閑先生のおつとめされる公演を拝見する機会に
恵まれました。嬉しいですね。

喜多能楽堂は去る年、舞台の板を張り替えてから伺うのは初めてでした。
あの真っ白な白木の舞台に目が馴染むのには暫くかかりそうな気がします。


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| 能・狂言 | 22:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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