花月草子

清涼山の御亭

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定めなき世の中々に

色々と所用あり、本日の五月定例会は最初の『蟬丸』のみ拝見という事に。
どうも『杜若』とは縁が遠い気がしてなりません。
(今まで何度か拝見しているハズなのに、体調不良だったり、小書でフェイント
をかけられたり…一度としてまともに見られた記憶がないのです)

曲は「蟬丸」なれど、シテは姉宮の逆髪。
設定では逆髪、蟬丸ともに延喜帝(醍醐天皇)のそれぞれ第三、四ノ宮と語られて
おりますが、双方にいわゆる「ハンディキャップ」を持った宮として産まれ、
それが故に高貴の身でありながら姉宮は狂女となって山を彷徨い、弟宮は剃髪の上
逢坂山に捨てられる悲劇。

蟬丸はつつましく静かな表情の中に時折はっとする雅やかさをも感じられる面。
清貫は、これから世の中から忘れ去られんとする皇子を痛ましげに案じつつも
自らは勅に逆らえぬ宮仕えの悲しさ。
蟬丸の父帝への恨み言一つ言わぬ姿はまさに皇子の風格。
しかし孤独に陥ってみればその胸中はかりがたしといった極み。

アイで博雅三位が登場し、蟬丸を藁家にかくまいますが、ここの部分は今昔物語の
流用か。
今昔物語では博雅三位が蟬丸を訪ね、秘曲 “啄木” を伝授されます。
琵琶の撥面を撥でコツコツと、まるで啄木鳥が樹を穿つような音をたてます。
(一度、公演で聞いた事あり)
またいくつかの資料によれば蟬丸が持っていた琵琶は「無名」とも言われています。
(あの、枕草子九十三段で定子が「ただいとはかなく名もなし」と答えるアレ)

姉宮の逆髪は、その名の通り今の世でいえば「キツめの天然パーマ」で済む話なの
ですが当時の女性としては致命的であったのでしょうね。物心つけば尚更。
まして皇女の身ともなれば。
自らの醜態に狂乱の心を起こし外の世界を彷徨う逆髪。子供たちの悪態を振り払い
ながら訪れた山の中に響く琵琶の音にひかれるようにして再会を果たす姉宮と弟宮。

別れの刻が刻々と訪れようとする中、二人じっと無言で交し合う視線が物悲しさを
際立たせていますね。
別れを告げた逆髪がまたふらふらと山から去って行くのをまるで心眼にかけて見送る
ような趣きの蟬丸。時を経て、思い立つがごとくに立ち上がり幕に下がって行く蟬丸
の乾いた杖の音が見所に響いて行きます…


なーのーにー、その余韻をブチ壊さんばかりにフライング爆裂拍手かました二席隣の
オヤジ。ゆるさん!
ところで、偶然ながら最近知ったところによれば私の母校の目の前に鎮座します某神社
(1年生の時には境内の中まで清掃範囲でした)
の境内摂社には大津の蟬丸神社から勧請した御分霊がおわすとか。
うーん、音曲諸芸道神 & 髪毛祖神とな。
3年通って気がつかない方もどうかしていた…

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| 能・狂言 | 21:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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2012年 明治神宮春の大祭

今年もこの季節がめぐってまいりました。
新緑まぶしい日差しの中に、時折そよそよと風が通る上天気。

春の大祭 吊灯篭

本年の曲は下記の通り。

『振鉾』二節
 ・左方双調 四人舞『春庭花』
 ・右方高麗壱越調 四人舞『埴破』
『長慶子』

左方振鉾 右方振鉾

『春庭花』
本日は二帖構成ですので、「春庭楽」ではなく「春庭花」です。
延暦期に遣唐船より伝わり、仁明朝(在位 833〜850)に勅にて双調に変更され、
春の曲とされた経緯があります。春、ということで立太子礼の際に舞われたとか。
巻纓緌の冠に桜の挿頭花をつけ、太刀を佩き、片肩袒の蛮絵装束にて。

春庭花 挿頭花 春庭花 太刀

二帖では四人が互いに回りつつ、袖を寄せたり、翻したり、と花のつぼみが次々に
開くような型で華やかな、まことに春めいた様の舞。最後には膝をつき、深々とした
拝礼をしてのち、退場となります。

春庭花01 春庭花02
春庭花03 春庭花04

『埴破』
埴破 埴玉 周の国は幽王の時代まで遡る曲の由来
 は、かの時代、埴土で作った玉の中に
 餅を入れて王に献上したとか何とやら。

 舞人は左手に五色の宝珠型の埴玉を
 持って舞を舞います。
 献上物が由来からかどうなのか、確かに
 玉を貴人に捧げるような型が多いです。

古くは玉を放り投げて、打ち割る型もあったそうで、「破」という字はそこから
つけられたという説もあり、また、玉は薬玉を表すという説もあり、そのあたりは
研究者の間でもいまひとつはっきりしない模様。
金襴縁の裲襠装束は『狛桙』と同じもの。指貫は裲襠と共裂。

埴破01 埴破02
埴破03 埴破04

ちなみに襲装束を諸肩袒で着用し、巻纓、雑面をつけると曲はそのままに『進蘇利古』
になってしまう罠。
(それはそれで見てみたい気も…)

| 雅楽・舞楽 | 16:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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歌に和らぐ神ごころ

久しぶりの国立定例。
近年国立の主催公演はとても取りづらい状態になっていますが、
昨年『蟻通』の背景を掘り下げはじめた頃(早く続きをつけたい…)に
某シテ方の先生から
「来年、喜之先生が国立でシテをされる」
と聞いていたので喜びころこび。
「見たい」と思っている曲に限ってなかなか遠かったりしますから、ホントに
貴重なタイミングでした。

貫之に扮する福王和幸先生のキリッと鼻筋の通ったお顔立ちに深緑の単狩衣が映え
素晴らしく品の良い貫之。
ワキの重い曲とあって、次第から道行と頁にしてほぼ一丁半分ほどのワキ謡があり、
型も一曲通してこまごまと多いのですが、一つ一つ丁寧で、明神の神前にぬかづく
ところなどは習物とあってか、とても真摯な姿勢を感じさせます。
和幸先生はこちらに移っていらしてから、何といったら良いのか、良い意味で
「坊ちゃんくささ」
が抜けてきた気がします。
持ち前の凛々しさがより深く、更にシャープに、磨きがかけられたような姿。
このまま上掛リ系のワキを極めて行っていただきたいなぁ。

シテの出はアシライ出しで。
本日はお囃子の先生方も曲柄と合ってしっとり寂び寂びと落ち着いた雰囲気。
えーと、もしかして最近松田先生の笛で拝見するのが続いてる?<続いてる
幕が上がってからそろりと見える傘の先と打ち振られる松明が目に入るとそこは
橋掛リではなく、雨水滴るうっそうとした暗い参道へと変わるようです。
薄い色の厚板に薄茶の縷狩衣を着け、白味のかった顔色の尉の面。

年老いた宮守が貫之と言葉を交わす一言ごとに内なる光を発してゆくが如く人體
のままに明神の神威をあらわにしていく様は圧巻。
とにもかくにも「神々しい」というのか、代え難い存在感。
舞台から全ての先生方が去った後に清々しさが残るという舞台は年に一度あるか
ないかというものですが、年度が改まった早々にこういう舞台を拝見できたという
至福のひと時。
で、基本的にこの曲そのものは和歌の徳を賛美し、讃える事にのみ終始しているので、
水銀鉱脈がどーの、太陽信仰がどーの、とは全くといっていいほど関係ないと言って
も良いのですが、だったらわざわざ貫之と蟻通明神でなくてもいいような気もする
んですけどねー…

詞章は瀟湘八景や項羽本記の「騅不逝〜」、文選など漢籍から引っ張っている部分が
多く、和歌との対比もあってか「面白し 面白し」

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| 能・狂言 | 23:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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トリプルトゥループで御法をうけ

とにかく超速スピードでやっている殺生石。
舞台の日取りが9月末なので、実質あと五ヶ月あるかないか。

ともかくも足取りだけでも先に習得して。というのが今の課題で、
それさえ終わったら後は個々の型を磨いて磨いて…というところです。
毎回毎回次の型、その次の型、と進んでいるので、ついて行くだけで
頭がパンクしそうだけれど、不思議なもので身体の方が覚えている。

最近、矢をつがえてのトリプルトゥループで目が回らなくなってきました。
慣れってこわい…

| 仕舞・お稽古 | 13:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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天に群がり 地に蟠りて

さくら花 春のお日和。
 桜もまだ散り去らぬ中、世は花見の宴が
 あちこちにて行われております。
 本日は矢来にて九皐会四月の定例会。

『千手』
昨日の『安宅』と今日の『千手』、二日続けて松田先生の笛で。
なんだろうな。とりたてて何が悪いという部分が無いというのが逆に悪かったような。
少しづつ何かが。一つずつボタンをかけ違うような、ある意味一番タチの悪い感触…
琵琶と琴に見立てた扇を見つめあうのも後朝を惜しむ姿もそれぞれ平滑単調で互いの
情緒的なものがどこかにいってしまってるかなぁ。
舞事も
「ああ、序ノ舞だなー」
という感じで。お囃子も皆さんそれぞれの方向を向いてしまっていたような気さえする。
もどかしくも入り込めない… orz

狂言は『文荷』。
私個人の評価では、狂言の曲の中では一、二を争う「お下劣」ネタだと思っているので
年配の方がされると生々しい部分が強調されたりする感じもあったりしますが、今公演
では三宅家の若いご兄弟の太郎次郎の両冠者とあって、却って明るく笑い飛ばしていて
楽しい。
「お返事でござりまする」のそれぞれのタイミングが絶妙<笑

お仕舞は喜之先生の『屋島』をはじめ、永島先生の『源氏供養』。永島先生を拝見する
のは久しぶりです。遠藤和久先生の『網之段』。
喜之先生の修羅物は一つ一つの形がピシピシと決まるので、まことに目の保養になります。
改めて、修羅物良いですね。最近私は人外の世界の住人になりつつあるので<苦笑

『春日龍神』
先月頂いたパンフの番組を見て、「おっ」と思ったのはこの春日龍神のお囃子の面々。

笛:小野寺竜一(一噌)
小鼓:鳥山直也(観世)
大鼓:亀井洋祐(葛野)
太鼓:大川典良(金春)

個々それぞれに活躍を見る事はあっても、ことこの組み合わせで拝見するのはもっぱら
研鑽会でしたので感慨一入。
大小の後見にそれぞれ幸正昭先生と安福光雄先生がついております。
いやあ、若いというのはそれだけ勢いがあって良い。
大川さんの太鼓は常々思うことながら、ピリッとした音がしてそれだけで盛り上がる。
わたくしのツボです。

ワキとワキツレの次第がうまくかみ合ってなかったですよ。というのはさておき、
春日龍神はついこの間までお稽古をつけていただいていたので、アレ?と思ったのは
今回後シテが一度も飛返リをしなかったあたり。
変だな。飛ばないというには何かあったのでしょうか。
私も最終的にはやらずに、今回のように「カケて回った」ので、
「ああ、このくらいの勢いで行けば良かったのか」と。
案外、見ている人は気づかないものなのかも。

附祝言は『嵐山』。桜の季節にはぴったり。

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| 能・狂言 | 18:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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